ホーム プリント

 

 

第四の手紙  

 

 

この世に散在し、イエス キリストの奥義を真に愛し自由のために飢えを  もつ人々へ。神様の約束事を知っていて、 それを信ずる人々へ:『耳ある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。  その小石には、これを受ける者のほかには誰も分からない新しい名が記されている。』『私達が語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、この世界の始まる前から定めておられたものです。この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が霊によってそのことを明らかに示してくださいました。』

言葉とことわざの理解力,脱落した霊によって不敬の言を言いあらわす,その者たちはキリストより遠く離れて肉的になったのです 野獣的。ペトロの手紙にこを書いております:『この者たちは,捕らえられ,殺されるために生まれてきた理性のない動物と同じで,知りもしないことを悪口し,そうして動物が滅びるように,彼らも滅んでしまいます。不義を行う者は,不義にふさわしい報いを受けます。彼らは,昼間から享楽にふけるのを楽しみにしています。彼らは汚れや傷のようなもので,あなたがたと宴席に連なるとき,はめを外して騒ぎます。その目は絶えず姦通(かんつう)の相手を求め,飽くことなく罪を重ねています。彼らは心の定まらない人々を誘惑し,その心は強欲におぼれ,呪いの子になっています。』彼らは,正しい道から離れてさまよい歩き,人間の情欲や感情をとおして自分たち自身で表現するのです,さらにユダの手紙では:『この夢想家たちは,知らないことをののしり,分別ない動物のように,本能的に知っている事柄によって自滅します。不幸な者たちです。彼らは「カインの道」をたどり,金もうけのために「バラムの迷い」におちいり,「コラの反逆」によって滅んでしまうのです。こういう者たちは,厚かましく食事に割り込み,わが身を養い,あなたがたの親ぼくの食事を汚すしみ,風に追われて雨を降らさぬ雲,実のらず根こぎにされて枯れ果ててしまった晩秋の木。』

私達の主イエスキリストが警告して下さった事が思い出されます。 「また,あなたがたも聞いているとおり,昔の人は,『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは,必ず果たせ』と命ぜられている。しかし,わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。そこは神の王座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにも誓ってはならない。そこは大王の都である。また,あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら,あなたは白くも黒くもできないからである。『あなたがたは,「然り,然り」 「否,否」と言いなさい。それ以上のことは,悪い者より出るのである。』 私達の 然り,然り とは アーメンで,新約聖書にてすべての証の言葉によって説教したのですー神の聖者の中にあり,それは私達の遺産なのです。そして私達の , とは ウウ神の恵みや,又すべての神の言葉そして我々を攻めるために造られる武器,を非難し拒否するのですーこれは新約聖書 ― 主そして救い主である,イエス キリストです。この剣(神の言葉) によって私達は生きるのです,私達の遺産,私達の神,  救い主と共に 神の国が永久にあるのです。

全てのことわざは感動をもって発言する,その者たちは卑しい霊に抵抗する力が無いので,知らずに罠にかかり用いられるのです。しかしここで,思い,わかることは,私達の力と強さは,聖霊をとしてイエスキリストの知識にあるのです。イザヤ書にこう書いてあります:『かれは自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。     「義なるわがしもべはその知識によって,多くの人を義とし,また彼らの不義を負う。」』それでイエス様はそうしていますー聖霊が教えてくれる如く 真理はあなた達を自由にする,またこの様に書いてあります: これは人に知恵と教訓とを知らせ,悟りの言葉をさとらせ,かしこい行いと,正義と公正と公平の教訓を受けさせ,思慮のない者に悟りを与え,若い者に知識と慎みを得させるためである。賢い者はこれを聞いて学に進み,さとい者は指導を得る。人はこれによってしん言と,たとえと,賢い者の言葉と,そのなぞとを悟る。』わたしたちが今にして分かることは,真実を愛する,そして 知識が無いために多くの人達は堕落するのです。聖書にこう書いてあります:『わたしの民は知識がないために滅ぼされる,あなたは知識を捨てたゆえに,わたしもあなたを捨てて,わたしの祭司としない:あなたはあなたの神の律法を忘れたゆえに,わたしもまた あなたの子らをわすれる。』再びエレミヤ書でも:『わたしの民は愚かであって,私を知らない,彼らは飲んだくれで,愚鈍な子どもらで悟る事がない,かれらは悪を行うのにさといけれども,善を行うことを知らない。』しかし,私たち(兄弟達)は偶像を作ってはならない事を学びました,『私は救われた,と言葉だけ言う人には,どこに実体があるのですか?イザヤ書で言うには:クク『主は言われる,「あなたがたの訴えを出せ」と,ヤコブの王は言われる。あなたがたの証拠を持ってきなさい,それを持ってきて,起こるべき事をわれわれに告げよ。先の事柄が何であるかをつげよ,われわれはよく考えて,その結末を知ろう。あるいはきたるべき事をわれわれにきかせよ。この後きたるべき事を我々に告げよ。我々はあなたがたが神であることを知るであろう。また善い事をするか(幸い),悪い事をするか(災い),我々は驚いて肝をつぶすであろう。』使徒パウロ曰く:『それで,兄弟たち,私たちには一つの義務がありますが,それは,肉に従って生きなければならないという,肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら,あなたがたは死にます。しかし, 霊によって体の仕業をたつならば,あなたがたは生きます。』そして,さらに使徒ペトロ曰く あなたがたは,力を尽くして信仰には徳を,徳には知識を,知識には自制を,自制には忍耐を,忍耐には信心を,信心には兄弟愛を,兄弟愛には慈善を加えなさい。これらのものが備わりますます豊かになるならば,あなたがたは,怠惰で実を結ばない者とならず, 主イエス キリストを知るようになるでしょう。これらを備えていない者は,視力を失って,遠くのものが見えず,以前の罪が清められたことを忘れています。だから兄弟達,召されている事,選ばれている事を確かなものとするように,いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば,決して罪に陥りません。こうして,わたしたちの主,救い主イエス キリストの永遠の御国に確かに入るこたができるようになります。 使徒パウロがコリントの協会あてに出した手紙の中で明らかに説明しているとをり,私たち(信者)の戦いは高い所(霊的)である, これは真の働きであることを私たちは知っています。『私たちは肉において歩んでいますが,肉に従って戦うのではありません:( 私たちの戦いの武器は肉のものではなく, 神に由来する力であって要塞(ようさい)も破壊するに足ります;)わたしたちは理屈(想像)を打ち破り,かみの知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し,あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ,またあなた方の従順が完全なものになるとき,すべての不従順を罰する用意ができています。

 

ヨハネの黙し録2:17. コリントの信徒への第一の手紙2:7-10. ペトロ第二の手紙2:12. ユダの手紙1:10-12. マタイによる福音書5:33. ウウイザヤ書54:17. イザヤ書53:11. ヨハネによる福音書8:32,14:26,16:13-15. 箴言 1:2-6. ホセア書4:6. 創世記20:4. ククイザヤ書41:21-23. ローマの信徒への手紙8:12. ペトロの第二の手紙1:5-11. コリントの信徒への第二の手紙10:3-6.

 

 

何も,かにも 身震いがする(どをしたら良いか分からない)(All shook up)この 表現はその人が途方にくれた時に用いられる言い方 ―― 感情的に混乱し,震え興奮した。これもまた,それらの下品な霊が脱落した,その有り様を逆にした言い方に用いたもの(正を悪、と言い、悪を正、と言う者の考え方)、ヘブライ人への手紙の中に霊の動揺している事が書かれています:『しかし,あなたがたが来たのは,シオンの山,生ける神の都,天のエルサレム,無数の天使達の祝いの集まり,天に登録されている長子たちの集会,すべての人の蕃判者である神,完全な者とされた正しい人たちの霊,新しい契約の仲介者イエス,そして,アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。あなた方は,語っている方を拒むことの無いように気をつけなさい。もし地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが,罰を逃れられなかったとするなら,天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは,なおさらそうではありませんか。あなときは,その御声が地を揺り動かしましたが,今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度地だけではなく天をも揺り動かそう。」この「もう一度」は,揺り動かされないものが存続するために,揺り動かされるものが,造られたものとして取り除かれることを示しています。このようにわたしたちは揺り動かされることのない御国をうけているのですから,感謝しましょう,感謝の念をもって,畏れ敬いながら,神に喜ばれるように仕えていこう。実に私たちの神は,焼き尽くす火です。』

 

.ヘブライ人への手紙 12:22-29.

 

 

ペトロより借りてパウロに払う(Barrow from Peter to pay Paul)このことわざはあちらから借りて,こちらに払う時にしばしば表現する言い方です:これも又あべこべに使用している(正を悪、と言い、悪を正、と言う者の考え方)、 真の霊的な意味は,それとなく言うには,割礼を受けた人々に対する福音の職務より採り:これは使徒ペトロの任務で,割礼を受けていない人々に対する福音に与える:それは使徒パウロの任務であるのです。これらの霊(卑しい霊) 肉的の古い割礼のことを話ているのです ―― それは文字に従う律法(肉的な律法)のもとにもどすのです:割霊を受けていない者が,律法の要求を実行すれば,割霊を受けていなくとも,受けた者と見なされるのではないのですか。そして,体に割霊を受けていなくとも律法を守る者が,あなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を所有し,割霊を受けていながら,律法を破っているのですから。外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく,また,肉に施された外見上の割霊が割霊ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり,文字ではなく“霊”によって心に施された割霊こそ割霊なのです。その誉れは人からではなく,神から来るのです。

 

ローマの人への手紙 2:26 – 29.

 

 

庶子,おまえは庶子(Bastard, you bastard)鍛練に(折檻)耐えられない者,そしてその人の父親よりの相続権利を認められない者。へブライ人への手紙には:『なぜなら,主は愛する者を鍛え,子として受け入れる者を皆鞭打たれるからである。あなたがたは,これを鍛練として忍耐しなさい。神は,あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい,父から鍛えられない子があるでしょうか。もしだれもが受ける鍛練を受けていないとすれば,それこそ,あなたがたは庶子であって,実の子ではありません。更にまた,私たちには,鍛えてくれる肉の父があり,その父を尊敬していました。それなら,なおさら,霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか?。』

 

ヘブライ人への手紙 12:69.

 

 

石と固いあいだ(Between a rock and hard place)この格言は誰かが窮所に合った時に(板ばさみになった時 ― 板と使用しないでこの場合() ― の意味は主イエス キリストがかなめ石であるのでその事を言う)言い表す.この世(俗的)で不忠実なため,不忠実な管理人のたとえ話にある様に,彼の職を妥協したので管理の職をやめさせられた ― それが固い所である.石はこのかなめ石で,(管理人)が不忠実なために主を拒否したのです.イエス様が彼らに言った事は,『聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、私達の目には不思議に見える。」だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。この石の上に落ちる者はうち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。』

 

タ ルカ伝16:1.  マタイ伝21:42-44.

 

 

飼い犬に手を噛まれる(Bite the hand that feeds you)霊的に言い表す、地獄の犬達、真実より脱落し、今でも脱落している者の事 ― 真の道(真の行き方)、の福音を与えた者の手をかじる(愛に対して悪で返す)

 

2ペテロ2:21. ヘブライ人への手紙6:4.

 

 

大宅、大宅に送られる(Big house, sent to big house):  受刑された犯罪者に使用される言い方、監獄に送られた。これもまた、あの脱落した霊が真実をあべこべにした言い表わしで、その悪霊は真実を束縛と思うのです。神様が神の人々の為に創造してくれたところは大変偉大で素晴らしいところなのです。 イエスキリストがヨハネ伝で言うには:わたしの父の家には住む所がたくさんある:もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。』詩篇に書いてあるように主はわたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる。』私達が霊的に更生するたびに、私達の神の国が拡大されるのです。知識、平和、喜び、愛そして親交が神の義によって増加されるのです。

 

ヨハネによる福音書14:2. 詩篇18:19.

 

 

熱い息をはく(Blowing hot air):空の、話を誇張したこの世の言い方,ユダの手紙の中にそのような霊のことを記しています。 『こういう者たちは、自分の運命について不平不満を鳴らし、欲望のままにふるまい、大言壮語し、利益のためにひとにこびへつらいます。ペトロも同様に記しています:この人たちは、水のない泉,突風に吹き拂われる霧です。彼らに用意されているものは、まっ暗なやみです。彼らは、むなしい大言壯語を吐いており、誤った生き方をしていて、ようやくそれをのがれようとしている人達を肉欲と好色によって誘惑し、その人たちに自由を与えると約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。 主であり救い主であるイエス · キリスト を知ることによって世の汚れからのがれても、その後再びそれに卷き込まれて打ち負かされるなら,そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。  義の道を知っていながら、自分に傳えられたその聖なる命令にそむくよりは,義の道を知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです.彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物のところへもどっつて来る」また、「豚は体を洗って、また 泥の中にころがる」』とかいう、ことわざどおりです。

 

ユダの手紙1:16. ペトロの第二の手紙2:17-22.

 

 

王国が来るまで(来世)吹き飛ばすぞ(Blow you to Kingdom come):激怒して,相手を破滅させたい時、一番ひどく幻想するのは神の国である.従って:この世の霊的王国に(偽善者の事),奉仕することを“風:教義,”誰かを彼らの"王国”に改宗者ができると,ヌヌ自分よりも倍の悪い地獄の子にしてしまうからです。

 

ヌヌマタイ伝23:15.

 

 

ばかげた誤り,おまえは大失敗をした(Boner, you pulled boner): 誰かが誤りとか,へまをした時に云われることわざ。脱落した霊が栄光の主を十字架につけた事は大変な誤りをしたのです。それは骨の中で命を与える血液の細胞が創造されるのです。主の体の骨は一つも砕かれていない、 それは永久の再生の仕方の意味なのです:“これらのことが起ったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。

 

ヘブライ人への手紙:6:6.ヨハネ伝19:33-36,詩篇34:20.

 

 

牡牛の糞(Bull shit): これを発言する時は相手の言葉をもの笑いにした時に使用する。詩篇 22章のなかに、うそつき、苦痛、そして十字架のごうもんにかかる事を言葉で述べています。ノノ『多くの雄牛はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、かき裂き、ほえたけるししのように、わたしにむかって口を開く。』彼らは真実をうそと言いそして真の光を消すのです ― それで:牡牛の糞

 

ノノ詩篇22.

 

 

通って来た後ろの橋を焼く(Burn your bridges behind you): この表現の意味、元の状態にもどる事が不可能な時に云いあらわす、それわ不潔な空想家であるからです、かれらは神の子を彼ら自身の手で十字架にかけたのです。それなのでその者達には元に戻る事が不可能である ―『霊に対する冒とくは許されない。』  

 

ヘブライ人への手紙6:6. マタイによる福音書12:31.

 

 

押入れより出てくる(Come out of the closet): これはキリストとキリストの花嫁の事を逆にした意味、男と男そして女と女の同性愛者達が表現したごとく、押入れより出てくる、脱落した卑しい霊にとりつかれたからです:キリストの教えで 『だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。』ここで 押入れギリシャ語の{ tamei`on }テエミイオンよりきたもので、それは:貯蔵所、会館、財貨室、特に奥の部屋、秘密の部屋、の意味です。ヨエル書に押入れのことについて曰く『民を集め、会衆を聖別し、老人たちを集め、幼な子、乳のみ子を集め、花婿をその家から呼びだし、花嫁をその部屋から呼びだせ。』花嫁方の押入れのヘブライ語 (khoop-paw) の発音は(クウプポウ)訳してこれは 会館、室、天蓋、押入れ、神の保護 という意味です。

        それに対して、花婿方の会館のヘブライ語(kheh’-der) の発音は(ケエダア)。意味は会館、部屋、応接室、最も奥の又は心の奥、の事。この二つの意味はとても似ています。ですがその違いは、何か花婿のものを花嫁が受けいれることにより、結婚が行われるのです。脱落した霊は曲解によって曲がった考えかたになったのです、パウロがローマの信徒に出した手紙の中にその脱落のことが上手に書かれています、

『というのは,不義をもって眞理をはばんでいる人間のあらゆる不信心と不儀に対して,神の怒りが天から啓示されているからです。なぜなら,神について知りうることは,彼らに明らかであるからです.それは神が 明らかにされたのです。世界の創造された時から目に見えない神の,本性,すなわち神の永遠の 力と 神性は,被造物に 現れており、これを通して神を知ることが出来ます。従って,彼らには弁解の余地はないのです.というのは,彼らは,神を 知っていながら,その神を 神としてあがめず,感謝もせず,かえってその思いはむなしくなり,その無知な 心は 暗くなったからです.彼らは,自分では知者であると言いながら,愚かな 者となり,不滅の神の御榮えを, 滅ぶべき人間や,鳥,獣、這うもののかたちに似た物と 代えてしまいました。』ホホこれは霊的な、蛇や犬や豚の有様です。)それゆえ, 神は,彼らをその心の 欲望のままに汚れに引き 渡され, そのために彼らは,互いにそのからだをはずかしめるようになりました。神の眞理を僞りに 替え,造り主の代わりに造られた物』(状態)『を拜んでこれに仕えたのです.造り主こそ,永遠にほめたたえられるべき方です,ア ― メン。それで, 神は彼らを恥ずべき 情欲にまかせられました。 女は 自然の 關係を 自然にもとるものに変え,同じく 男も,女との 自然の 關係を捨てて,互いに 情欲を燃やし,男どうしで 恥ずべきことを行い, その 迷った 行いの当然の報いを身に 受けています.彼らは神を認めようとしなかったので,神は彼らを  無価値な思いに渡され, そのため,彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義,惡, むさぼり,惡意に滿ち, ねたみ,殺意,不和,欺き,邪念にあふれ,陰口を言い、人をそしり、神を憎み, 人を侮り,高慢であり,大言を 吐き,惡事をたくらみ,親に逆らい,無知, 不誠実,無情,無慈悲です。彼らは,このようなことを行う者が 死に 値するという神の定めを 知っていながら,自分でそれを行うだけではなく,他人の同じ 行為をも 是認しています。

    神の御言葉により洗い清められ又聖霊によって新たになり神の子達は生まれ変わるのです、それは 心よりくるものでそれを口より伝道(説教)するのですだが 不潔な空想家たちへの神の判決は その者達は口で行為をし、永久にこの役を演ずるのです。彼らは再生させ様と試し ― 彼らは罠にかかり ― 誰でもその不潔な空想家たちにだまされた者達と表現するのです。それらの精神は殺人者、私達の主を十字架にかけた罪のある者達、全国民にもまた(神の国民)― キリストの体。それなので 彼らは元にもどる事が出来ないのです ― 彼らにとって我々(神の子)は死に そして我々にとって彼らはまったく関係がないのです(正当な考え方でないので)。彼らは聖霊を冒涜した(口汚くののしった)ので永遠に赦されないのです。

 

 

 

 

マタイ伝6:6, ヨエル書2:16, ローマ人への手紙1:18-32, ホホペトロの弟二の手紙2:17-22,箴言26:11, エフェソ人への手紙5:26, テトスへの手紙3:5 ヘブライ人への手紙:6:6,ローマ人ヘの手紙1:26-29.

 

 

犬に取られた、犬と共に行く(Dog gone it, I will be dog gone): 信徒のぺテロ曰く犬の状態にはいる ― 彼らが神より救われた状態より、古い状態にもどる(元の)事を表している,(愚かなものはその愚かさに戻る)

 

 ペテロの第ニの手紙2:10-22.

 

 

犬、年を取った犬に新しい芸は教えられない(Dog, you can not teach an old dog new tricks): 信条の点においてその脱落した霊は、不義や姦淫を通して 神の御国の主義に反し、像を作ったー売春婦が行い達する様に、これが彼らの王国の信条の中心となったのです。 それらの信仰は、この世の王国で、彼らの信条に加えたり また変えることをしない。それであるから、年を取った犬に新しい芸を教える事ができないのです ― それは偶像を作る事によって姦通や不義が行われる:偶像崇拝。

 

ヨエル書2:7.

 

 

こぼしたミルクの事で泣く事はない(Do not cry over spilt milk): 霊の乳に関する事 ― 乳飲み子が現世的になった為 主の御言葉を聞く必要がない その為に泣く事はないと ― その霊的なピッグ()にこの様なときに乳飲み子は傷つけられる。

 

ヘブライ人への手紙5:12-14.

 

 

真実を言うから、もう打たないで(Do not hit me no more, I will tell you the truth): このことわざはイエス キリストをあざけりにし ある者が打たれもう我慢しきれなくなるのを描写し、そして冗談や映画のなかに使用されている。ヨハネによる福音書にこう記しています。イエスはピラトにお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、私の声を聞く。」ピラトは言った。「真理とは何か。」ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。」』イザヤ書ではこの偉大な謎を大変良く予言しました。『だれが私達の聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。彼は若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわらわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。私たちも彼を尊ばなかった。まことに彼はわたしたちの病を負い、われわれの悲しみを担った。しかるにわれわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼は私達のとがめのために傷つけられ、われわれの不義のためにむちゃくちゃに砕かれたのです。彼はみずから懲らしめを受けて、わたしたちに平安を与え、その打たれた傷によって、わたしたちはいやされたのです。われわれはみな羊のとうに迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を彼が背負ってくださったのです。彼はしいたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。屠殺場にひかれて行く子羊のように、また毛を刈る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。彼は暴虐な裁きによって取り去られれた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがめのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと、彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主はかれを悩まされた。かれが自分を罪の供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強いものと共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。』

 

ヨハネによる福音書18:37  イザヤ書53

 

 

出てゆく時にドアーにおしりを打たれない様に( Do not let the door hit you in the ass on the way out ): 品格をおとし侮辱する云い方で、ヨハネの福音書の中でこのドアーについて記していますーわたしは門です.だれでも, わたしを通ってはいるなら,救われます.また安らかに出入りし,牧草を見つけます。』 婚宴のたとえで描かれている様に、ふさわしくない客を披露宴より解散させる(追い出す)、それは主がいっている真のドアーの事。ところで,王が客を見ようとしてはいって來ると,そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた.そこで, 王は 言った.「あなたは,どうして礼服を着ないで,ここにはいって來たのですか.」しかし,彼は默っていた.そこで,王はしもべたちに,「あれの手足を縛って,外の暗やみに放り出せ.そこで泣いて齒ぎしりするのだ.」と言った.招待される者は多いが,選ばれる者は少ないのです.』」それらの神に選ばれない者たちは御国の子等で外の暗闇に追い出されるのです。彼等の反乱ゆえに、神の誓いを軽べつしているため、今でも極度に神の呪いがかかっているのです。申命記にこの前兆を見ることができます。『彼はあなたに貸すが,あなたは彼に貸すことができない.彼はかしらとなり,あなたは尾となる.これらすべてののろいが,あなたに臨み,あなたを追いかけ,あなたに追いつき,ついには,あなたを根絶やしにする.あなたが,あなたの神,主の 御聲に聞き從わず,主が命じられた命令とおきてとを 守らないからである.これらのことは,あなたとあなたの子孫に對して,いつまでも,しるしとなり,また不思議となる。あなたがすべてのものに豊かになっても,あなたの神,主に、心から喜び楽しんで仕えようとしないので。』

 

ヨハネによる福音書10:9. マタイによる福音書22:11-14. マタイによる福音書8:11-12, ヘブライ人への手紙6:4-6. 申命記28:15-47.

 

 

ばかな大酒のみ者、又は 哀れでばかな酔っ払い(Drunken Fool, or poor drunken fool):

強い飲み物(アルコール)で 狂乱になった者の事を言った:酔っ払い。使徒パウロが この霊的な状態をエぺソの信徒へ 述べています:『 時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ちくずすもとです。レレパウロは 肉的の そして私達の救い主の血のことを話しているのです:偶像をつくらず、御霊がすべてのことを明るみにだすのを待つのです。むしろ、霊に満たされ。 (それはキリストの知識によって冷静であるように): 詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス キリストの名により、父である神に感謝しなさい。』主はルカ伝で言っています:『 主人が召し使い達の上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったい誰であろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られるしもべは幸いである。確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。しかし、その僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰ってきて、かれを厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。』

 

エペソの信徒への手紙5:16-20, レレヨハネ伝6:53-54, ルカ伝12:42-46.     

 

 

ステイーブンと同等(Even-Stephen): 両方とも支払いや借りがない:ステイ―ブンと五分五分で処理された件。 これはこの世の中で理解している言い方です。彼の任務は奉仕者で:イエス キリストの啓示と秘密に給仕するのです。かれは教会の敵達を非難したので、彼はその敵達に殺害されました:『かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは正しい方が来られる事を予言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。』人々はこれを聞いて激しく怒り、ステイ―ブン(ステファノ)に向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ているものをサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、私の霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこういって、眠りについた。) ステファノは彼らと同等で、彼はこの世に対して死に、この世は彼に対して死んだ。ステファノの名の意味は『大冠を戴いた』、彼はそうでしたー永久の命と共に。  

 

使徒行伝7:51-60.

 

 

どの犬もかれの日がある(Every dog has his day): 真のことわざによれば彼らに起こったのです。 そうです!それで彼らは脱落したのです。かれらは光をもっていたのですが(神の子)その光を消し(神より去り),それで今闇の中にいる,そこでは()誰も働く事が出来ないのです。それは救いの働きです:信じる、愛、希望、信仰、忍耐、慎む、熱中、突入(力づくで押す)そしてすべて良き働き。

 

へブライ人への手紙6:4-6, ペトロ第二の手紙2:20-22, ヨハネによる福音書9:4-5.

 

 

家族争い(暴力)Family violence): ルカ伝にてキリストが言うには:『あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、姑は嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。』これが本当の

家族争い、それは外面の人間(肉的な)と内なる人間(霊的)との事で。箴言に書かれています:知恵に向かって、あなたはわが姉妹だと言い、悟りに向かってあなたの肉親と呼ぶ。』パウロよりガラテヤ人にあてた手紙にこの争いを述べております:天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。なぜなら、次のように書いてあるからです。「喜べ、子を産まない不妊の女よ、喜びの声あげて叫べ、産みの苦しみを知らない女よ。一人取り残された女が夫ある女よりも、多くの子を産むから。」ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、霊によって生まれた者を迫害した様に、今も同じようなことが行われています。』ローマ人への手紙にこの様に言ってます:『わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まない事をしているとすれば、それをしているのは、もはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。内なる人としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰がわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス.キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。』これは、肉的な賢明と、霊的な賢明との間の争いで、理解と理解、知識と知識、愛と愛、など。したがって:外なる人肉的、と 内なる人霊的なのです。

 

ルカ伝12:51-53,箴言7:4,ガラテヤ人への手紙4:26-29,ローマ人への手紙7:14-25.

 

 

天国の為に(後生だがら)(For Heaven’s sake): このことわざは放蕩息子の例えの中で見られます:『そこで、彼は我に返って言った。父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』どの様に天に対して罪をおかしたのか?この様に:天国は愛の領土、正義、平和、喜び、親しい交わり、そしてもっと。これが彼の放蕩生活のために破壊された、そのために、天に対して彼は罪をおかしたのです。従って、天国の為に!と表現するのです

ルカ伝15:17-19.

 

 

ペトロの為に(For Peter’s sake): これは割礼の役目に対してのあべこべの言い方。信徒ペトロノ義務は割礼を受けた人々にたいして福音する事。パウロがガラテヤの信徒の手紙の中にそう書いています:『それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。』それは心の割礼です、その人は霊的なユダヤ人となるのです。『だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と見なされるのではないですか。そして、体に割礼を受けていなくても律法を守る者、があなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。外見上のユダヤ人がユダヤ人だはなく、また、肉にほどこされた外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく霊によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。それらの下品な霊は永久に律法の文字の呪いの下敷きとなる。であるから、『ぺトロの為に』と言いあらわすのです。

 

ガラテヤの信徒への手紙2:7, ローマの信徒への手紙2:26-29

 

 

池に飛び込め(Go jump in the lake!): キリストの思い()よりはなれる事は ― 第二の死:招かれる人は多いが、しかし、選ばれる人は少ない。アア『死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。しかしおくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人殺し、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。』イイこの池の事とは、いつも学んでいながら、決して真理の認識に達することができません。実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です、それで私達も神の人々ですのでそう出来るのです。ウウわたしたちの内より湧き出る泉は、その池に流れるのです:そこで彼らは常に私達に反対するのです(神の真に対抗する)- 生き死に存在している。わたしたちが証しをするごとに、それは、大水のとどろきなのです:聖霊がわたしたち(神の子)より話すのです:イエス キリストの証しです。

 

マタイ伝22:14, ペトロ第一の手紙2:13,ユダの手紙12、アアヨハネの黙示録20:14-15, ヨハネの黙示録21:8, イイテモテ第二の手紙3:1-9, ヘブライ人への手紙12:29, ウウヨハネ伝7:37-39, ヨハネの黙示録1:15

 

 

地獄に行け(Go to hell!): 偽善者よりこの世の王国(宗派)に改宗された。エエ『律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分よりも倍の悪い地獄の子にしてしまうからだ。』淫婦が座っている水のことを良く考えてみると。『天使はまた、わたしに言った。あなたが見た水、あの淫婦が座っている所は、さまざまの民族、群衆、国民、言葉の違う民である。』

 

エエマタイ伝23:15, ヨハネの黙示録17:15.

 

 

ジョンへ行く(Go to the John): トイレに行く。この言い方は見下げる時に使用する、キリストの恵みをののしる事で。 名前、ジョンの真の意味は、(ジョホバ)は恵み深い寄贈者。オオ神に呪われる、彼らの割り当てられたものは末尾であって、頭ではない----そこで悟ることは、どうしてトイレ()に関してより良い事がおこると、考えるのか。

 

オオ申命記28:44

 

 

髪の毛、私はあなたの髪の毛一本をも傷つけない(Hair, I would not hurt a hair on your head)これは脱落した霊が言ったことで、彼らはどんな傷害をもあたえないと思ったごとく― 偽の友情。私達の救い主曰く:『どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかちとりなさい。』

家族争い(暴力)の所を見て下さい。

 

 ルカ伝21:15-19.

 

 

頭か尻尾か(Heads or tails): この言いあらわしは、モーセより下さった、神様の恵みと呪いについての事を、あべこに決心した事で。『主はその宝の蔵である天をあなたのために開いて、雨を季節にしたがってあなたの地に降らせ、あなたの手のすべてのわざを祝福されるであろう。あなたは多くの国民に貸すようになり、借りることはないであろう主はあなたをかしらとならせ、とはならせられないであろう。あなたはただ栄ええることはないであろう。きよう、わたしが命じるあなたの神、主の戒めに聞き従って、これを守り行うならば、あなたは必ずこのようになるであろう。』これは、すべて形であり(表像的)、救い主により私達(信者)に下さった、神様の恵みの約束のことを話しているのです。

 

申命記 28:12-13.

 

 

地獄で鈴を持つ人(Hell’s Bells Man): この下級ないい表し方は、自慢した言いかたで、人の努力したことをかるく見下げたときに使用する。この鈴のことは影、形であって、わたしたちが神聖に主に近ずく時のことで。これに対しての主の命ずることは、                                          

『あなたがたは聖なる者となれ、わたしは聖なる者だからである』『すなわち金の鈴にざくろ、また金の鈴にざくろと、上服のすその周囲につけなければならない。アロンは務めの時、これを着なければならない。彼が聖所にはいって主の前にいたる時、また出る時、その鈴の音が聞こえて、からは死を免れるであろう。あなたは、また純金の板を作り、印の彫刻のように、その上に“主に聖なる者”と刻み『その日には、馬の鈴の上に、“主に聖なる者”と、印すのである。また主の宮のなべは、祭壇の前の鉢のように、聖なる物となる』。

 

レビ記20:7, ペテロの第一の手紙1:15-16, 出エジプト記28:34-36, ゼカリア書14:20.

 

 

世の中に火を点けたくない(I don’t want to set the world on fire):これも又あべこべの言いかたで、彼らは真実より落ちるそして実に落ちた、彼らの世は燃えている、『実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です』。 

 

ヘブライ人への手紙12:29.

 

 

もし嘘をついているなら、私は死にかかっている(If I’m lying I’m dying)実に彼らは嘘つき

 であり、彼らは死ぬ。『不法の者はサタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議なわざとを行い、そして、あらゆる不義を用いて、滅びてゆく人々をあざむくのですシシ一人が何かより滅びるのでなければ、一人は滅びることはできない。;彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。

 

テサロニケの第二の手紙2:9-12, シシ ヘブライ人への手紙6:4-6

 

 

あそこはジャングルである(It’s a Jungle out there):あらゆる生き物(動物)は、毒蛇、犬、豚、などは状態であり、私達はそれらの事について警告されました 一 救い主が私達に警告しています:『神聖なものをに与えてはならず、また、真珠をに投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう.』そして ヨハネが上手に示しています:『ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った、まむし(蝮)の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。』ベンジャミンの証の手紙の中に狼が記されています:セセ『わたしの子供たちよ、神のおきて従って神聖に歩みなさい、あなたは再びわたしとともに安全に住むことができ、そして、全イズラエルは主のもとに集まる。そして、あなたがたの破壊のために私は荒れ狂う狼と云われが、もう荒れ狂う狼とは呼ばれない、そして 主の働き者で霊的なよい食物を分配している。そして、ユダとレビの部族より、後の日に主に愛されている一人が生ずるであろう、彼の口は御心にしたがってなし、異邦人達に新しい知識を明らかにしている,主がこの世に来て、この世を去るその期間、主によって異邦人やその支配者達の集会にて皆、喜びを証言する。そして、主は働きと言葉を聖書の中に、我々異邦人の事を記された、そして主は永遠に神より選ばれるであろう。  

それらの生き物は、状態であり戦争状態の時に発見するのです。それらは固い食物で、私達が大人になると食べるのです(霊的)。それ故にペテロが私達を養ってくれます、救い主がペテロに命じたごとく:『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか?』ペテロ曰く『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたは知っています。』主はペテロに言われた『わたしの子羊を飼いなさい。』ソソ、ヤッファの屋上で信徒ペテロが幻の中で、生き物達は大きな布の中に入った獣達で天より下りてきた。その生き物達は状態で愛し、そして礼拝されたそれらの事を信徒パウロがローマの信徒への手紙の中に説明しています。『なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現われており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や這うものなどに似せた像に取り替えたのです。そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代りに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です。』

 

マタイ伝7:6, マタイ伝3:7, セセ ベンジャミンの遺書2:24-25, ヨハネ伝21:15-16, ソソ 信徒行伝10:11-16, ローマの信徒への1:19-25. 忘れられたエデンの本。

 

 

洗いでみなきれいに出てくる(It will all come out in the wash): 新たに再生する御言葉の洗いを通して嘘つきや不義はさんざんな失敗となる。『神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しくうまれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神はわたしたちの救い主イエス キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。』

 

テトスへの手紙3:5-6.

 

人を裁くな、あなたも裁かれないようにするためである:(Judge not that you be not judged)

   この声明は常にこの世の霊にて用いられる、彼らは責任を問われたくないためである―彼らは決して完全に聖書を引用しない。彼らは正確に判断されることを知っているので、彼らは裁かれたくないのです。『人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

   正義の者は裁かれる事を望む、それがなければ生きる事ができないツツそれは法律の中心である。                                                                                

マタイによる福音書7:1-2, ツツマタイによる福音書23:23.

 

 

        下記のルカを読むにあたり。それはサタンや反キリストによる耳ざわりな嘘なのです。耳ざわりであると言うのは十七世紀より響いておりそして誰も警告をしなかった。

生ぬるい、(Lukewarm): 神の人達にはルカによる福音書があります、― マリア、エリザベス、ザカリア、サイモン、そして アナ 達の 予言も入っています、なお、ルカ伝16 : 8-9 では もしこの世の王国に受けいれられる、とすれば そのことを詳しく記しています― 使徒行伝の書もルカによって記されているのです、そして、彼はもちろん、なまぬるい(テペット)とか、生暖かい、重要でない、このような人ではない。彼、ルカは、すばらしい福音を述べ、いまだに光輝いている星なのです。

ヨハネの黙示録3:16の中にギリシャ語でChliaros(発音は) khlee-ar-os (カリアーオス)生ぬるいと訳しています。ですが 生温いは 14世紀ごろより使用されだしたのです そして 聖書に訳されたのは 17世紀でした一このなまぬるいは ギリシャ新約聖書 の中にはありません。ギリシャの訳しでは:暖かい、生ぬるい または 冷淡なとある。ヨハネの黙示録3:16 『熱くも冷たくもなく、なまぬるいの

で、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている』。これはサタンや反キリストによって記され、この誤りはいかにも、イエス、キリストの口より言った様にみせている。この聖書が遂げるのです:コリントの信徒への第一の手紙14:21「律法にこう書いてあります。「『異国の言葉を語る人々によって、異国の人々の唇でわたしはこの民に語るが、それでも、彼らはわたしに耳を傾けないだろう』と主は言われる。」」この世の宗教の、王国々や教会類 は彼ら独自の聖書を訳しているのです。そこで ヨエル書弟二章の中で 彼らのことが記されています。

    ヘブライ人への手紙12:29の中にこう記されている:実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。それゆえに全神の人々も。生ぬるい者とか冷ややかな者:私達の天の父は赦さないだろう、私達は焼き尽くす火でなければならない。しかし、あのような霊だはなく、表現するそれ自身がいわく私は悪い(I’m bad)、冷たい男(be cool man),ネグロの男性によって表現される

 

親愛なる兄弟たち,あなたは真の神の霊を抱き、そして 親愛なる使徒が記したごとくあなたは すべての事を知るのです。 この世の王国々の真の証拠は彼らの行いや話はみな肉的で、彼らはこの世を愛し、イエス キリストにしたがって復活したがらないのです。あなたがたは死にいたるまであなたの命を愛さなかった、そのあなた方を神に感謝します。

ヨハネの第一の手紙 2:20-21の中で:しかし、あなた方は聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知り、また、すべて偽りは真理から生じないことを知っているからです。

 

 

惨めな者は仲間を好む,(Misery loves company):『主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。』ここで分かったことは、外の暗やみに一人ぽっちでいるよりも、この世の子らの仲間を作るほうがよっぽど良い。

従って言うことは:惨めな者は仲間を好む。

 

ルカによる福音書16:8-9.

 

名無しの雌犬の子、(No name son-of-bitch)ヘブライ人への手紙の中で説明したごとく。一度光に照らされ天からの賜物を味わい聖霊にあずかるようになり神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。』これは大変ふさわしい選ばれた神の子達に何が約束されたか。ニニ『耳ある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得るものには隠されていたマンナを与えよう。また白い石を与えよう。その石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。』それゆえに、わかることは、不信心な者は勝利を得ず、そして堕落し新しい名が受けられない、従って:名無しの雌犬の子。概して犬が帰ってきてその吐いた物を食べるように、愚かな者はその愚かさをくり返す。

 

ヘブライ人への手紙6:4-6, ニニヨハネの黙示録2:17, 箴言26:11.

 

 

ホゼアでは有得ない(No way Hosea): ホゼアの意味は“救い”です、ここで言うことは救いの方針がない(道)― それによってキリストを否定している。

 

 

私の善良(まあ!)(Oh my goodness!)一人が自己の義を宣言する─あの神の真実より来る義ではない。ヌヌ私達の救い主が、神の義を求めよとわたしたちに警告しました。

 

ヌヌマタイによる福音書6:33.

 

去る者は日々に疎し..(そし)(Out of sight, out of mind):エレミヤ書の中に形の上で、脱落している、そしてキリストの精神より遠ざかる、霊がどのようになるか又何であるか予言しました。『主はわたしに言われた、たとえモーセとサムエルとがわたしの前に立っても、わたしの心はこの民を顧みない。彼らをわたしの前から追い出し、ここを去らせよ。もし彼らが、我々はどこに行けばよいのか、とあなたにたずねるならば、彼らに言いなさい、主はこう仰せられる、疫病に定められた者は疫病に、つるぎに定められた者はつるぎに、飢きんに定められた者は飢きんに、とりこに定められた者はとりこに行く。主は言われる、私は四つの物をもって彼らを罰する。すなわち、剣をもって殺し、犬をもってかませ、空の鳥と地の獣をもって食い滅ぼされる。又 ユダの王ヒゼキヤの子マナセが、エルサレムでした行いのゆえに、わたしは彼らを地のすべての国が見て恐れおののくものとする。エルサレムよ、誰があなたを哀れむであろうか。誰があなたのために嘆くであろうか。誰が振り返って、あなたの安否を問うであろうか。主は言われる、あなたは私を捨てた。そしてますます退いて行く。それゆえに、私はてを伸べてあなたを滅ぼした。わたしは哀れむことに飽きた。わたしはこの地の門で、箕で彼らをあおぎ分けた。彼らがその道より離れなかったので、わたしは彼らの子を奪い、我が民を滅ぼした。』

それは色々な所に記録されています。

 

エレミヤ書15:1-7, 列王記下20:1-18. ローマの信徒への手紙 1章、ヘブライ人の手紙6章。

 

 

豚(Pig)ノノ彼ら自身の手でイエス­キリストを十字架につけ、それらは不法な者、そして彼らは肉慾に落ち、神の国に入ろうとする人達を傷つけ、主の御言葉を踏みつける。『自分達に伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうにわたしたちの主、救い主イエス­キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるのなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなる。義の道を知っていながら、。ことわざに、

犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」また、「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているのです。ハハマタイ伝で、豚との交渉について  

前もってイエス様が、私達に警告した様に、『神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたに噛みついてくるだろう。』真珠は神の国へ入る門(私たちの証言)のことを云い、それで、不信人な生きもの達によって、一人の証言が 噛み付かれ、打ち砕かれ、かれらの(生き物達)の脱落した教義にて大変傷つけられた、その傷つかれた者はそれより回復できないため神の国に入る事ができないであろう。

 

ノノヘブライ人への手紙6:4-6.ペテロの第二の手紙2:20-22, ハハマタイによる福音書7:6.

 

 

驚いて私から地獄が出て行く(Scared the hell out of me): 真実はどの様なことができるかと言うあざけりである。

 

 

おまえをねじるぞ!また、お前を犯すぞ!(Screw you)霊的に姦通やわいせつの罪を犯す、豚の意味のこと、彼らは神の国に入ろうとする者の(遭遇する)入口を妨げる。もし効果があるとこのような状態が増加するでしょう。

 

マタイによる福音書7:6.

 

 

サイモン云く(Simon says):

 

 

 

*** メモ:これからも色々のことわざが追加されます

 

 

イエス・キリストに秘められ,真実を愛する親愛なる兄弟達へ。脱落した格言は無限でそれらは真実から落ちた永遠の判決である事を理解しなさい。しかし すべて私達の神聖な会話は霊的に理解できるのです,私達の主の冷静な知識,救助者イエス.キリストによって,また 私達の最愛のポールよりエペソに仕えた事より私たちの戦いを悟ります:終わりに 言います.主にあって, その 大能の力によって 強くなりなさい.魔の策略に 対して 立ち 向かうことができるために,神のすべての 武具を 身に着けなさい.私たちの格鬪は 血肉に 対するものではなく,主權, ,この 暗やみの 世界の支配者たち, また, 天にいるもろもろの悪霊に 対するものです.ですから,邪悪な 日に 際して 対抗できるように,また, いっさいを 成し遂げて, 堅く 立つことができるように,神のすべての 武具をとりなさい.では,しっかりと 立ちなさい.腰には 眞理の 帶を 締め,胸には 正義の 胸當てを着け,足には 平和の 福音の備えをはきなさい.これらすべてのものの上に, 信仰の 大盾を 取りなさい.それによって,悪い 者が放つ 火矢を, みな 消すことができます.救いのかぶとをかぶり,また 御霊の 與える 劍である,神のことばを 受け 取りなさい.すべての祈りと 願いを 用いて,どんなときにも 御霊によって祈りなさい. そのためには絶えず 目をさましていて,すべての 聖徒のために,忍耐の 限りを つくし,また 祈りなさい.また,私が 口を 開くとき, 語るべきことばが與えられ, 福音の 奧義を大胆に 知らせることができるように私のためにも 祈ってください.』

         

ク エペソの信徒への手紙6:10-19.

             

                               

                                   アーメン

                          ウオ―レス イングラム 

                                                訳し:能子 イングラム 

 

 

上に