第三の手紙
誠の 神、我々の主、救い主イエス– キリストと神の人々を通して、真実に飢え渇き そして ア相互の交わりを切望する人々に 又 勝利を得る人々に、救い主が 約束された イ 隠されたマンナを食べましょう。 イエス キリスト が ニコデモ に宣言したごとく、ウ「わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししている、」 そして この真実が私達を罪より 自由にし、 神様の交わりを下さるのです。これはこの真実を明らかにした 私達の天の父によってすべて命ぜられ、約束されたのです、神が命ぜられたことは、エ「しかし、あなたがたは私の創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びをもちなさい、見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする、そしてわたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。」
オ霊と真理をもって、まことに 我々は神の民であります。 カ「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。
内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく”霊 ”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。
その誉れは人からではなく、神から来るのです。」
キ 生命の始まりは、神とイエス–キストを知ることです-イエス–キリスト(救世主)が私達の救いなのです。
クそして、どの様にイエス様が我々を救ってくださるかは、偶像のやり方ではなく(心に描く,言葉だけ)ー ケこの世の国々は同じ様に偶像をもつのです。
その人々曰く- 神の人々に対して反する(戦う)人達- 彼らは救われた(と思っている)。 だが、 どこに証拠があり、どこに実質(神よりの財産)があるのですか?
救われる為には、その者は神により生まれ、再生された者、それゆえに そのひとたちは神の子供達と言われるのです。コ 神の霊によって予言され、そして
私達は神をしるのですー イエス–キリストの証しー これが 私達が神の子である証拠なのです。 神の人々に対し戦う者たちに我が主曰く、この事について予言者イザヤは上手にかたっております:サ「主は言われる、あなたがたの訴え(理由)を提出せよと、ヤコブの王は言われる。 あなたがたの証拠を持ってきなさい、それを持ってきて、起こるべき事を我々に告げよ:さきの事どもの何であるかを告げよ、我々はよく考えて、その結末を知ろう:又きたるべき事を聞かせよ、この後きたるべき事を我々に告げよ、我々はあなた方が神であることを知るであろう:幸いをくだし、災いをくだせ、我々は驚いて肝をつぶすであろう。」私達が宣言する事は、我々の信仰の実体であります:神の恵みーシ神の人々の遺産です。 それは、ス何がくるかは我々の証しによって啓示が開かれ明らかにされるのですーセ我々の内にやどっている真理の霊により、それは真実であります。
法律の表象、模範であるモーゼス(モーセ)を通して、神である主曰く、ソ「あなたは自分のために偶像を造ってはならない、上は天にあるもの、下は地にあるもの、又地の下の水の中にあるものの、どんな形をも造ってはならない。」 それであるから、我々は救われた(一度に)、とは言いません、永久の命は、主の無限の知識とキリストの精神をいただくことなのです、 来るべき世(霊的)の力、そして神の賜物の所有、したがってそれは現実に生きているのですー 永久の命、タ父の(神)全てのことを生きている言葉(イエス– キリスト)に与えられました、それによって神の霊がこれらの事を神の人々に明かされるのです、イザヤ書に書かれてあるごとく、チ「義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う、」
これは我々の命、永遠の財産なのです。 この事をモーゼスが預言し言ったことは、ツ「隠れた事は我々の神、主に属するものである;しかし表わされたことは長く我々と我々の子孫に属し、われわれに この律法のすべての言葉を行わせるのである。」 又この事について、救い主がニコデモに言明した事は、テ「我々は知っていることを語り、見たことを証ししている。」 わたしたちは信仰から信仰、黙示から黙示へと行くのです。
私達の天の父が行く道を創造したのですー 神の言葉が心に宿っているー 全て神が約束した事は永久に我々とわれわれの子孫に伝えてくれるのです。
心に宿る神の言葉が、 法律の全範囲を生ずるのです、そして 法律の核心は 信仰、判決、慈悲です。 この信仰とは望んでいる事がら全てを含めて確信する事です、 そして
何を望んだかは、天の父によって約束され、命ぜられたのです。 この様に約束された事を自由に与えられ、これによって永久に更生される、この 経過によってわたしたちは救われるのです。
正義の知識である我々の救助者(イエス–キリスト)は 私達の信仰の実質なのです。 モーゼスが予言しました、 モーゼスは本当の立法者ではなく、 形だけの立法者で、 本当の立法者であるイエス–キリストの事を示しています:ト「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる; あなたたちは彼に聞き従わねばならない。」 この立法者曰く(イエス キリスト):ナ「私が言う言葉は、私のものではなく、わたしをお遣わしになった父が言われる言葉で、その言葉は霊である。」
これによって私達は神のニ法律は霊であるという事を知らされるのです、使徒パウロがローマの信徒への手紙の中に証言している事は。
そしてモーゼスよりの法律は形で、真の法律(イエス–キリスト)の事を言っているのです、言葉によって私達のなかに法律が生ずるのです。
イザヤ書で天の父が命ずる事は、ヌ「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことはおぼえられることなく、心に思い起こすことはない。しかし、あなた方は私の創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びなさい。」使徒パウロの言う、この新しいエルサレムは、あの新約聖書なのです、パウロよりガラテヤ教会ヘの手紙の中で。
彼曰く、ネ「アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女(サラ)から生まれたと聖書に書いてあります。 ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした。
これには、別の意味が隠されています:すなわち、 この二人の女とは二つの契約を表しています; 子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。
このハガルは、アラビアではシナイ山のことで、 今のエルサレムに当たります。 なぜなら、 今のエルサレムは、 その子供達と共に奴隷となっているからです。 他方、
天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、 これは私達の母なのです。」
言葉(キリスト)が心に宿っている者、その人が、その言葉よりそむいた時より、 その人の信仰が止まるのです、 全法律と共に、
その人達はキリストの思い(精神)を失い始めるのですー 無法者となるのです。ノこれが罪ですー 偶像の罪ではなくー どの様に、この法律に背むく事によって第二回目の死をもたらすのです。従って、神に対する背教が起こる:招かれる者は多いが、
選ばれる者はすくない。私はハ神の律法を認識し愛する人、そして 神の法律の及ぶ範囲、その深い問題を調査する事を望む人に話します。ではどの様にして、
彼らは信仰の言葉より離れ、遠ざかり始めるのか? 彼らは体(肉的) の仕業を絶つ事をしなかったー これは 肉的な体を十字架につける(肖像を失う)。兄弟達、我々の考え方が肉的であった時、真実について疑問をもち、ヒサタンが光を装って(真実)現れたが、私達はそれを受入れず、信仰を抱いて死にました(肉的より):その後(肉的の考え方の死後) 黙示にて我々の救い主の知識によって、 フ恵みが満ちあふれました。これは 罪無き命の仕方です:霊的に更生するー キリストの律法によってー 聖霊によって新しく生まれ、 主の 御言葉によって新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。我々が十字架につけたのはあの古者で(肉的な考え方):私達が肉的に知っていたキリストでした。それによって私達は新しい神の創造物となり そして 永久に持続するのです。これは 偶像ではなく、生きた教訓なのです。あなた方は毎日 飲んだり、食べたり、呼吸をするでしょう、それは生きるために健康な体を保つのに必要なのですー そお思いませんか? それで霊的な事に関しても同じことなのです。私達の親愛なるパウロがローマの信徒への手紙の中でそう言っています、ヘ「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなた方の内に宿っている
その霊によって、あなた方の死ぬはずの体をも生かして下さるでしょう。 それで、兄弟たち、わたしたちには義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。
肉に従って生きるなら、あなた方は死にます; しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなた方は生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
私達が神の霊によって導かれるなら、神の生ずる本質を学ばなければならない、ヘブライ人への手紙、6章で使徒が曰く。 ホ「そのために 私達は、キリストの教えの初歩を離れて、完成を目指して進みましょう。」
マ もしあなた方は乳をやめ、乳ぶさを離れたのなら:それは言葉の乳です。初めにー 第一の本質を学んだことはー
それは ミ 全部肉的な事でー 霊的な事を指していて、肉的な事は本当の事(霊の現実)ではないのです。 むしろそれらわ 手本、影、たとえ、形、そして 偶像でそれらは本当(霊的)の事についてかたっているのです。覚えていますか、 イエス様の弟子達が来て言った事を そして イエス様が言った事は、ム「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話になるのですか? イエスはお答えになった、「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。」 どうしてかと言う質問は? イエス様曰く、「だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ:見ても見ず;聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した、『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、
見るには見るが、決して認めない;この民の心は鈍り。 耳は遠くなり、目は閉じてしまった、 こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない、わたしは彼らをいやさない。』私達の先生(イエス様)が何をいっているのか理解しましょう、その時イエス様曰く、「あなたがたには, 天国の奥義を知ることが許されている。」 イザヤ書では、メ「彼はだれに知識を教えようとするのか、だれに教訓を説きあかそうとするのか? 乳をやめ、乳ぶさを離れた者にするのだ。それは教訓に教訓、教訓に教訓、規則に規則、規則に規則;
ここにも少し、そこにも少し教えるのだ: 否、むしろ主は異国のくちびると、異国の舌とをもってこの民に語られる。
主はさきに彼らに言われた、 これが安息だ、疲れた者に安息を与えよ; これが休息だ:
しかし彼らは聞こうとはしなかった。それゆえ、主の言葉は彼らに教訓に教訓、教訓に教訓; 規則に規則、規則に規則;ここにも少し、そこにも少しとなる;これは彼らが行って;うしろに倒れ、破られ、わなにかけられ、捕えられるためである。」
モそれで彼らは神様より離れ、その人達の事を言っているのですー 彼等の心が清くないので。 ヤ純粋の心をもっている者だけが、神の真理を見、理解する事ができるのです。キリストの柔和と親切をもって心の底から神の真理を望まなければならないのです。
ヘブライ人への手紙の中で、聖霊の望みは;私達が完成を目指して進む事なのです。キリストの命ずる事は、「あなた方の天の父が完全であられるように、あなた方も完全な者となりなさい。」ユ「そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、洗いごとについての教と按手、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。神の許しを得て、そうすることにしよう。いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、
また、神の良き御言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。」 ここに見る事は、多くの人がここまで来て、完成まで行かない事、そして キリストの教えの初歩を守らなかった。彼等はこれまでに、乳をはなれ、神の言葉である固い食物を受け入れるべきであったのに。その代りに、自ら肉的な体を十字架につけず;むしろ、彼等は 再び神の子を十字架につけたのです。
ここで 神様の教えの一つを調べてみますと。それは、肉的なことは真の事ではないのです!ここに 本当の磔刑があり、これは霊的なのです。この自然(肉的) で起こった磔刑はー この世的でー 形、手本、で 霊的な本当の磔刑の事を言っているのです。それであるので、使徒パウロがこの様に宣言しました、「それで、私達は肉に従ってキリストを知っていたとしても、今わもうそのように知ろうとはしません。」
これは多種多様の理由があるからです。始めに現世的な考え方と霊神的な考えかたとの溝が出来て離れるのです。ヨそれはキリストの体のすべてのしみや汚れより清めるのです、(ユダの手紙、ペトロ第二の手紙2:10-15、エペソの信徒への手紙 5:27)、(主より選ばれ神の子となった私達はキリストの体、集まりとなるのです)。神の人々を憎む者達と、私達は神様の愛と財産を分かち合はない。そして、この世界に多王国が造りだされたのですー 神との和解の時が来るまで、彼等は追放の場所を神より定められたのです。これについてはもっと言う事がありますが、
今はこれで充分だと思います、 しかしながら、親愛なるパウロの証言を付け加えます:ラ「それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません:肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです:古いものは過ぎ去り;新しいものが生じた。
これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」 私達は再び新たに生まれ ー この度は聖霊によって新しく生まれさせ、 新たに造りかえる洗いを通して実現しました。( 第一の誕生は、 イエス–キリストの言葉を伴う水の洗いにより、これは肉的で、これは自然の誕生とは関係がなく、 第二の誕生は霊的:使徒パウロがガラテヤの手紙
4:19-20 の中で言っています。)
彼等は救い主を十字架にかけただけでなく、立法者をも十字架にかけたのですー そして彼等が真実よりそむいたことに満たし事を曰く:リ「夜が来ると、誰も働く事が出来ない。」
― モ-セが形であった様に。聖霊がモーセを通して言っている事は:ル「 あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞のうちから、私の様な一人の預言者をあなたの為に起こされるであろう。
あなた方は彼に聞き従わなければならない。」 律法はイエス–キリストより来るのです、レ使徒パウロがローマの信徒への手紙のなかで曰く:「私達は律法は霊的である事を知っています。」
モーセは形であって、彼がくれた律法もまた形だけで、真の立法者のことを話し、その律法は霊的であるのです。
これから続く証の手紙ではー 我々の父の許可する事によってー 私達の救いに関する本源を調査しつづけるでしょう。
兄弟達、神様の愛が私達の心に注がれている事を私達は知っています、 私達は誰の子孫であるかは、私達の行動によってきまるのです。神様は望みなしに私達を創造したのではないのです。
霊や真実、以外のこといっさいにたいして死ぬ、それほど神様を愛さなくてはならないのです。
これらの良い知らせを好む皆さんに恵み、平和そして喜びがあります様に。
ア)ヨハネの第一の手紙 1:3、イ)コリントの信徒への第一の手紙 2:7、ヨハネの黙示録
2:17、ウ)ヨハネによる福音書 3:11、エ)ヨハネによる福音書 8:32、イザヤ書
65:18、オ)ヨハネによる福音書 4:23、カ)ローマの信徒への手紙 2:28-29、キ)ヨハネによる福音書 17:3、ク)テトスへの手紙 3:5、ケ)ローマの信徒への手紙1:21-23、コ)ヨハネの黙示録 19:10、サ)イザヤ書 41:21-23、シ)エペソの信徒への手紙 1:18、ス)ヨハネの黙示録 19:10、セ)ヨハネの第一の手紙 2:20、ソ)出エジプト記 20:4、タ)ヨハネによる福音書 16:14-15、チ)イザヤ書 53:11、ツ)申命記 29:29、テ)ヨハネによる福音書 3:11、ト)申命記 18:15、ナ)ヨハネによる福音書 6:54、14:23-24、ニ)ローマの信徒への手紙
7:14、ヌ)イザヤ書 65:17-19、ネ)ガラテヤの信徒への手紙 4:22-26、ノ)ヨハネ第一の手紙 3:4、ハ)詩篇 119、ヒ)コリントの信徒への第二の手紙、11:13-15、フ)ローマの信徒への手紙 5:20-21、ヘ)ローマの信徒への手紙 8:11-14、ホ)ヘブライ人への手紙 6:1-3、マ)ヘブライ人への手紙 5:12-14、ミ)コリントの信徒への第一の手紙 10:6、11、コロサイの信徒への手紙 2:17、ヘブライ人への手紙 9:24、ム)マタイによる福音書
13:10-17、メ)イザヤ書 28:9-13、モ)ヘブライ人への手紙 6:4-8、ローマの信徒への手紙
1:18-32、エレミヤ書 15:1-4、ヤ)マタイ伝 5:8、ユ)ヘブライ人への手紙 6:1-8、ヨ)エフェソの信徒への手紙 5:26-27、ペトロ第一の手紙
1:19、ペトロ第二の手紙 2:12-22、ラ)コリントの信徒へのてがみ 5:16-18、リ)ヨハネ伝 9:4、ル)申命記 18:15、レ)ローマの信徒への手紙 7:14。
アーメン、
ウオーレス エフ。イングラム