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第一 手紙

 

            この手紙を読むにあたって ウォーレス  エフ.イングラム  を肉的に知って いる人と 、又 多くの人は私を知りません.その 肉的 弱さの 為に 私は この 手紙を 書くことにしました.これから 続く手紙 は、多くの人にとって、変化 又わ 大きな 溝を 築くことになる事と思います.神様に選ばれた者達 には名が授かり(肉的には理解出来ない)私もその一人, 神に選ばれた人々と共に私自身が生きた手紙となりました.

私はイエス様がこの世を去る時に言った事を思い出させられます、わたしには, あなたがたに 話すことがまだたくさんありますが, 今あなたがたはそれに 耐える 力がありません.しかし, その 方, すなわち 眞理の 御霊が 來ると, あなたがたをすべての 眞理に 導き 入れます. 御霊は 自分から 語るのではなく, 聞くままを 話し, また, やがて 起ころうとしていることをあなたがたに 示すからです。』それで私の思いは神様の愛と真理を求める人々にとって、この挨拶に喜ぶ事を願ってこの手紙を書く事にしました.

真実を求めるにあたって、飢えと乾きを感じ始めた時より神様よりのもくじが開き始めました.これは神を信じる人々にとっては普通のことで、それは 私達自身の理解力でと言うよりも、神様の力と賜物なのです.私は始めから神様の誓いの言葉をしんじて、けっして つまずきやためらいをもちませんでした. まず始めにヨハネで、主の言葉は父がもっておられるものはすべて、私のものである.そして 真理の御霊がそれらを見せてくれるのです。』 イザヤ書曰く『見よ、私は新しい天と、新しい地とを創造する.さきの事はおぼえられることなく、心に思い起こすことはない.しかし、あなた方は私の創造するものにより、永久に楽しみ、喜びを持ちなさい.見よ、私はエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。』これは言葉ではいいあらわせられぬほど素晴らしい事です! それは今より永久に神の黙示が開かれるからなのです.聖霊が予言者イザヤをとをして上の事について予言しました. 使徒パウロがコリントの信徒えの手紙の中で、神の予言した事について約束を充実させた事を承認します.その事は目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された。』と書いてあるとおりです.このことは主より与えられるまで本当である、又イエス様がヨハネ伝でニコデモに言った事は、私達は知っていることを語り、見たことを証している。』『私達も信じ、それだからこそ語っているのです』と書いてあります、それで、聖霊が打ち明け(啓示)して下さることを私達 (信者)も語るのです.我々は信仰から信仰へと行くのですーこの信仰は神の儀が啓示されるのです、また神は我々にさがし求める事を警告したのです。 仰とは望んでいる事柄を確信する事。私の望み事がこの世的より霊的な事に変わりつつあることに気ずき始めました それは神様の霊が啓示してくれるからです。この証により私達はのりこす事が出来るのです、と書いてあります.

            ヨハネ伝に書いてある事は、永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス–キリストを知ることです。』 神様と同じ心と思いをもっていない事には、どをして神様の思っている事が理解出来るでしょうか? それだからこそ 霊的なことを教えるにあたって、聖霊をくださったのですー 私は使徒パウロがエフェソに書いた手紙を確認します、『どをか、わたしたちの主イエス–キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに霊的な知恵と啓示を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように. そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるのです. また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるのです。』

イザヤ書では 『神はだれに知識を教えようとするか? だれに教えを説きあかそうとするのか乳をやめ、乳ぶさを離れた者にするのだろうか. それは教訓に教訓、教訓に教訓;規則に規則、規則に規則; ここにも少し、そこにも少し教えるのだ。』これはどちらの方にも(良い方 悪い方)かたむくのです. 又俗的でうそ や偶像を愛する人達にとっては罠におちいることになるのです.救い主曰く、『 天地の主である父よ、あなたをほめたたえます.これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、(俗的な自分自身のみ)、そして神の幼子達にお示しになりました、)神様に教えられた 子供たち(神の事にたいして若い信者) にとって  それは安どであり、又それよりも これは 神の国が開かれる始まりなのです.

            神様に学び、教えられることは、新しい思いに正しい思考力をもたらすのです.誤りや厚かましいことはしないで、 この戒め 誤りを正しく直すことにより 今まで存在していなかった平和が存在するのです 真実をこの目で見 そして 神様より真実をいただく事は 再生するごとに 聖霊によって与えられる の喜びが存在するのです. 今まで存在していなかった、平和、喜び、義 が今こそ存在するのです:これが神の御国なのです。 我々が 求め、たずね そして 頂き, 恵みの律法を祈念するにあたって神の国が存在し始めたのです。神様が私達に下さるために準備された事を、我々が正しく受け入れ、 ノ慈悲をもってそれらを判断した事によって 神様より慈悲をうけるのです これにより 私達は 神様を讃美し、それにより神様は偉大な寄贈者となるのです。 『受けるよりわ与える方がもっと幸いである。』 と書いてあります。それで 神様より頂いたものを私達がまわして上げる事によって、私達も幸を受ける者となります. 幸とわ、知識、平和、喜び そして 義、を頂いた者達にだけに存在するのです.それは けっして 無理矢理に奪われることがないように、私達の天の父が このように創作したのです.  

            神の言葉の洗いを通して 私達は聖霊によって生まれたのです。私は大変な 飢えと乾きを感じました。私は キリストを得るために死を求め、そして わたしは すべてを捨てなければならない事に気ずき(始めに自己の知識)、そして、私は死にました(肉的な見方より);聖書 いわく、『心をつくして主に信頼せよ;自分の知識にたよってはならない。』なぜ わたし自身の知識にたよるのか;『彼らは皆 神によって教えられる。』と神は言われる。神様は私に思いをくださった:私のすべき である事を わたしは何もわからない でも神様はそのことをしっています.なにごとにも消す事のできない 愛、誠の神の愛を下さい、この世的な真実ではなく、神様の真実を.そうして 義を求め 押し進む為に飢えと乾きを下さい ¾ 神様よりの義を下さい。長い事かかリ、色々の人々の教訓 (肉的な)を聞いたのち、わたしの心は満足しませんでした、それから 私は 神の御国 神の義 を求め 始めました その時以来 神様より教え始められたのです

            よくよく 考えて見ると、聖霊が用意してくれている事を何も見た事がないので、全然 考えもつかない事でした。 それで 私が正しいと思った事 全部 が遇像 である事に気がつきました。私はその遇像 より離れました、そして 私は 空になりました! 私は何かをつかもうとしたのですが、 そこには何も在りませんでした。私の信頼と心の安らぎ 全てを 聖霊にゆだね そして 主の御言葉 によって 私の内に信仰がやどり始めたのです。そして この 信仰の 度合いにおおじて かみの黙示がひらかれたのです。 これは この世の肉的な信仰ではありません。 この信仰は 御言葉 よりの 霊的なものです。 聖霊が教えて下さることは:教訓 教訓 です。 この線(縄)は 神の義を啓示された 測り縄(標準)なのです。

            大変な間違えを多くの人々がした事は、彼らは神様の事をしっていると思っている事です、ではそれらの人たちは何を見たのでしょうか? フィリップ イエス様に父を見せてくださいと言った言葉を良く調べてください、イエス様 が彼(フィリップ) 答えたことは、『フィリップ  こんなに長い間 一緒にいるのに、私を分かっていないのですか? 私を見た者は 、父を見たのです;それでは なぜ  私たちに 御父を お示しくださいと言うのか?』  それで もし フィリップ  御父 を見なかった とすれば 、彼は  父の子(イエス)を知らなかった のです.それでは フィリップ 誰を 見たのでしう?  彼は 肉的な 目で見た イエスキリスト をしっていただけです.この世 よりはなれ た者には, この様な 肉的な見方は  終わりとなるのです.信徒パウロ コリント の信徒 えの手紙の中で 事実をのべた事は、それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。キリスト と結ばれる人はだれも、新しく創造された者なのです。』それは 死なのです、パウロ曰く、『私は毎日死ぬ。』長い間 私はこの死のことが知らず、又 理解 出来ませんでした。私はフィリップ と同じ様に 肉に従って イエス様(御言葉)を知っていただけでした。

   救い主の死について、誕生、再生する、そして 戦いを行うために、この死は必要である 救い主が言いました。私達が霊的でなければ、 どうして 霊的な暗の力と 戦うことが出来るのでしょうか? 霊的な戦いは 肉的(俗的)な面より戦う事が出来ないのです:それは 私達の手のとどかない 範囲になるのです.更に 全ての事について 霊的であること、霊的に理解 することは、 感謝し、天の父と共に権利を分かち合い、  神のしもべ 共々 すべて神の国(財産)を受けつぐのです.

        真に 永久の命を望んでいる人は、それを見つける (むしろイエスキリストより選ばれる) ことを 私は望み 、信じております、そして私はあなたの永久の友となるでしょう.主の御言葉によって、元気をだし、信じ、そして 愛に満ちてください.アーメン。

 

 

ヨハネの默示2:17, コリント人への第二の手紙3:3ヨハネによる福音書16:12-13, ヨハネによる福音書16:15, イザヤ書65:1718, コリント人への第一の手紙2:9, イザヤ書64:4, ヨハネによる福音書3:1112,  

詩編116:10, コリント人への第二の手紙4:13, ロ―マ人への手紙1:17, マタイによる福音書6:33, サヘブル人への手紙11:1,  ヨハネの第一の手紙6:63, ヨハネによる福音書16:1315, ヨハネの默示12:11, 

ヨハネによる福音書17:3, ヨハネによる福音書14:26, 16:1315, エペソ人への手紙1:1719, イザヤ書28:910, マタイによる福音書11:25, ロ―マ人への手紙14:17,  箴言6:23,  テモテへの第二の手紙 3:16, ヨハネによる福音書14:26, 16:13,  ヨハネの第一の手紙2:27, 二 ロ―マ人への手紙14:17, 15:13, 

ヌ ルカによる福音書 11:910, イザヤ書65:18, マタイによる福音書5:7, 詩編145:12,  イザヤ書65:1718, 使徒行傳20:35, テトスへの手紙3:56, マタイによる福音書5:6, マタイによる福音書16:24, 箴言3:5, ヨハネによる福音書6:45,  イザヤ書54:13, マタイによる福音書6:33, ロ―マ人への手紙12:3, ロ―マ人への手紙8:6, ヨハネによる福音書14:89, コリント人への第二の手紙5:1617,

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